イヤホン族
非常に理解し難い人々、それはイヤホン族。
常にイヤホンを耳にぶら下げている人々。
果たしてそのぶら下げた紐からはどんな音楽が鳴り響いてるでしょうか。
はたまた、何も音楽が流れていなかったりするのでしょうか。
音漏れするほど大音量で聴いてる輩もいれば、呼びかけるとすぐに振り向くほど小さな音量で聴いてる輩もいます。
彼らはイヤホンをぶら下げながら歩く。自転車に乗る。電車に乗る。
暇さえ見つければイヤホン。
酷い時は、ご飯を食べる時もその耳からイヤホンをぶら下げています。
そんなに大好きな歌手がいるのでしょうか?
そんなに毎日24時間聴いていたい曲がいくつもあるのでしょうか?
もしくは耳に電子機器をぶち込むことを愛してやまない、という変な性癖の持ち主なのでしょうか?
耳、痛くならないのでしょうか?
要がないのにただただ聴いてるのであれば、難聴になる恐れがあるからやめたほうがいいです。
ファッションでつけているのであれば、それもやめたほうがいいです。
ちっともかっこいいとは思わないし、ファッションでつけているくせにチープなイヤホンだったらむしろダサくて逆効果になりますから。
そもそも、僕はイヤホンがどうも苦手です。
耳の中にあんな異物を詰め込んだら不快感でストレスが溜まってしまいます。
だから僕は専らヘッドホン。
それも基本的に外では音楽を聴きません。
電車の中とかで音楽を聴いてる人結構いるけど、僕はどうしてもあれが出来ません。
耳をふさいだ瞬間、外の音を遮断した瞬間、自分が世間から独り取り残されたような感覚に陥って不安になります。
情報量が一気に少なくなる、あの感じが怖いのです。
稀にイヤホンつけながらご飯を食べる輩がいるがあれほど理解し難いものはありません。
イヤホン邪魔になりませんか?
コメカミごりごりしませんか?
飯マズくなりませんか?
そもそも作った人に対して失礼ではないのですか?
正直、どうゆう神経してるのかわかりません。
僕が勝手に師と仰ぐ中田ヤスタカ氏。
彼も移動中は音楽を聴かないらしいのだが、それについてこんなことを言っていました。
「音楽のながら聴きをしない。」「その場所の音を聴いていないと不自然じゃないですか。場所が違うと鳴ってる音も違うので、それを聴いているほうが楽しいじゃないですか。」
『私の10のルール - 中田ヤスタカ』(2/2) ←おまけ
いかにもヤスタカ氏らしい発言。
彼のこういうところ、感性、すごいなと思います。
確かに、彼のこのやり方こそ、本当の音楽の楽しみ方だと僕は思います。
イヤホンでながら聴きするのはアーティストに対して失礼だし、いつでもできることです。
しかし、彼が言うように、その場所にはその場所にしかない「音」というものがあります。
音を楽しむ、と書いて音楽です。
風の音、電車が線路を走る音、隣のおじいさんのあくびの音、赤ん坊の泣き声、高校生の騒ぎ声、主婦の井戸端会議、好きな人を前に早く鼓動する心臓の音、ご飯を咀嚼する音…。
無音だって音に入ります。
「音がない」音楽を楽しむのもありだと思います。
いつでもどこでも耳にイヤホンを挿してるイヤホン族は、本当の音楽が何たるかを知らないし、アーティストが丹精込めて作った楽曲の価値を軽視している。
本当に自分の好きなアーティストの曲を聴きたいなら、自分の部屋に閉じこもって、他の音を遮断して、場合によっては部屋の明かりを消して、大音量で聴くべきです。
とはいえ、音楽とは本来自由に楽しむもの。
その楽しみ方にはいろんなスタイルがあっていいと思います。
聴き方を他人に押し付けられるものではありません。
だから、移動中に音楽を聴くな、とはいいません。
ですが、ご飯を食べる時ぐらいは、耳からイヤホン外しません?
心の底から、「音」を楽しめるような人間になりたいものです。
常にイヤホンを耳にぶら下げている人々。
果たしてそのぶら下げた紐からはどんな音楽が鳴り響いてるでしょうか。
はたまた、何も音楽が流れていなかったりするのでしょうか。
音漏れするほど大音量で聴いてる輩もいれば、呼びかけるとすぐに振り向くほど小さな音量で聴いてる輩もいます。
彼らはイヤホンをぶら下げながら歩く。自転車に乗る。電車に乗る。
暇さえ見つければイヤホン。
酷い時は、ご飯を食べる時もその耳からイヤホンをぶら下げています。
そんなに大好きな歌手がいるのでしょうか?
そんなに毎日24時間聴いていたい曲がいくつもあるのでしょうか?
もしくは耳に電子機器をぶち込むことを愛してやまない、という変な性癖の持ち主なのでしょうか?
耳、痛くならないのでしょうか?
要がないのにただただ聴いてるのであれば、難聴になる恐れがあるからやめたほうがいいです。
ファッションでつけているのであれば、それもやめたほうがいいです。
ちっともかっこいいとは思わないし、ファッションでつけているくせにチープなイヤホンだったらむしろダサくて逆効果になりますから。
そもそも、僕はイヤホンがどうも苦手です。
耳の中にあんな異物を詰め込んだら不快感でストレスが溜まってしまいます。
だから僕は専らヘッドホン。
それも基本的に外では音楽を聴きません。
電車の中とかで音楽を聴いてる人結構いるけど、僕はどうしてもあれが出来ません。
耳をふさいだ瞬間、外の音を遮断した瞬間、自分が世間から独り取り残されたような感覚に陥って不安になります。
情報量が一気に少なくなる、あの感じが怖いのです。
稀にイヤホンつけながらご飯を食べる輩がいるがあれほど理解し難いものはありません。
イヤホン邪魔になりませんか?
コメカミごりごりしませんか?
飯マズくなりませんか?
そもそも作った人に対して失礼ではないのですか?
正直、どうゆう神経してるのかわかりません。
僕が勝手に師と仰ぐ中田ヤスタカ氏。
彼も移動中は音楽を聴かないらしいのだが、それについてこんなことを言っていました。
「音楽のながら聴きをしない。」「その場所の音を聴いていないと不自然じゃないですか。場所が違うと鳴ってる音も違うので、それを聴いているほうが楽しいじゃないですか。」
動画はこちらから。
『私の10のルール - 中田ヤスタカ』(1/2) ←10:50あたりからです。『私の10のルール - 中田ヤスタカ』(2/2) ←おまけ
いかにもヤスタカ氏らしい発言。
彼のこういうところ、感性、すごいなと思います。
確かに、彼のこのやり方こそ、本当の音楽の楽しみ方だと僕は思います。
イヤホンでながら聴きするのはアーティストに対して失礼だし、いつでもできることです。
しかし、彼が言うように、その場所にはその場所にしかない「音」というものがあります。
音を楽しむ、と書いて音楽です。
風の音、電車が線路を走る音、隣のおじいさんのあくびの音、赤ん坊の泣き声、高校生の騒ぎ声、主婦の井戸端会議、好きな人を前に早く鼓動する心臓の音、ご飯を咀嚼する音…。
無音だって音に入ります。
「音がない」音楽を楽しむのもありだと思います。
いつでもどこでも耳にイヤホンを挿してるイヤホン族は、本当の音楽が何たるかを知らないし、アーティストが丹精込めて作った楽曲の価値を軽視している。
本当に自分の好きなアーティストの曲を聴きたいなら、自分の部屋に閉じこもって、他の音を遮断して、場合によっては部屋の明かりを消して、大音量で聴くべきです。
とはいえ、音楽とは本来自由に楽しむもの。
その楽しみ方にはいろんなスタイルがあっていいと思います。
聴き方を他人に押し付けられるものではありません。
だから、移動中に音楽を聴くな、とはいいません。
ですが、ご飯を食べる時ぐらいは、耳からイヤホン外しません?
心の底から、「音」を楽しめるような人間になりたいものです。
食事中にイヤホンをつけたままというのはマナーの観点からもあまり好まれるものではありません。
返信削除が、親元を離れ1人で生活し1人でご飯を作り食べる毎日。
そんな営みの中ではふとした時に孤独感に苛まれるのです。
そんなとき、近くに寄り添ってくれる音楽ほど有難いものはありません。
レストランなどではイヤホン付ける意味が分かりませんが、孤独と戦うための自分を守るためのイヤホンもあることを知っていただきたい。