私の音楽遍歴
おばんです,McKenzieです.
前回のブログで,私の現在の趣味を挙げました.
今回の記事では,その中の一つにして,もっとも私と付き合いの長い趣味,「音楽」について書こうと思います.
とは言っても,私は音楽を演ることはなく,専ら聴くことしかしません.
ここでは,私が今までに愛した音楽を書いていこうと思います.
私が音楽に没頭し始めたのは,小学校高学年の頃,詳しく書くと2003年の夏.
そう,ORANGE RANGEのメジャーデビューの年です.
当時のORANGE RANGEの人気は凄まじく,一部のマスコミは「中高生に大人気のグループ」と取り上げていましたが,その波は小学生だった私にも押し寄せました.
彼らの魅力は,曲のノリやすさ,韻を踏む面白さ,お下劣な歌詞にあったと思います.
歳が近いお兄ちゃんたちが歌っている,という点も大きかったと思います.
小学生の私は,授業そっちのけで,クラスを巻き込んでORANGE RANGEがいかに素晴らしいかを語り合っていた気がします.
いかにORANGE RANGEの曲を知っているか,いかにそれらの歌詞を暗記しているか,といった事柄が,クラス内のヒエラルキーを決める要因となりました.
私にはヨシダくんというライバルがいました.
彼も私も(奇しくも同じ)MP3プレーヤーにORANGE RANGEの曲を詰め込み,放課後一緒に聴いたり歌ったりしていました.
ヨシダくんも私も,普通の人とは少し変わったところがあり,当時ORANGE RANGEの人気曲といえば「上海ハニー」「以心電信」「ミチシルベ」「ロコローション」あたりだったのですが,2人がお気に入りの曲は「シティボーイ」や「papa」といった変わり種でした.
私が人生で初めて自分のお金(といってもお小遣いだけど)で買ったCDも,ORANGE RANGEの「アスタリスク」でした.
今久しぶりに聴き返すと,思い出の数々がフラッシュバックしてきて懐かしさで胸がいっぱいになります.
ヨシダくん,元気かなぁ,今はどんな音楽聴いているんだろう....
私が洋楽と出会ったのはいつだったか覚えていませんが,小学校の頃だったと思います.
当時習っていた公文式の英語の教材に,The Beatlesの内容が出てきました.
そこで「世界にはこんなすごいバンドがいたんだ」と知りました.
それとは独立して,私の洋楽との出会いには,私の伯父の影響が多分にあります.
私の伯父は典型的なアナログ人間で,世の中にCDやMDが出回っている頃にもカセットテープを愛用していました.
伯父はしばしば自分のお気に入りの曲,または私に聴かせたい曲を選曲してカセットテープに収録してくれました.
習い事や買い物に出掛ける際には,カーステレオでそのテープを流すのが日課でした.
そのテープに入っていた曲はバラエティに富んでおり,吉田拓郎やNSPなどのフォークソング(伯父は高校でフォークギター部に入っていたのです)もあれば,The Beatles,Wham!,Queen,The Eagles,Simon & Garfunkel,The Carpentersなどの洋楽も豊富でした.
中学に入ると,だんだんと洋楽に興味を持ち始め,80年代の洋楽ヒット曲のオムニバスCDを好んで聴いていました.
CMの影響もあり,「この曲,耳にしたことある!」という喜びがあり,点と点が線になる感覚が面白かったです.
また,私の通っていた中学校では,英語や音楽の授業にThe Beatlesの曲をよく歌わされました.
給食後の掃除の時間でも,The Beatlesの初期の楽曲が校内放送で流れていましたし,下校時刻になると,Backstreet Boysの「I Want It That Way」が必ず流れていました.
さいたまスーパーアリーナで開催されていたジョン・レノン・ミュージアムにも足を運びました.
また,この頃には,当時高校生だった兄の友達の影響もあり,The Offspringにも熱中し始めました.
The Offspringへの熱中の仕方は,ORANGE RANGEへのそれに通ずるものがありました.
また,The Offspringでポップ・パンクのエモさを知り,同じような系統のGreen DayやMy Chemical Romanceなんかを聴くようになりました.
中学卒業から高校入学にかけての時期は,私が初めて人生で挫折を味わった暗い時期でした.
そう,私は高校受験に失敗し,第一志望の某有名公立校や第二志望の某有名私立校に落ち,滑り止めで合格した近所の私立校に入学することになったのです.
私の音楽嗜好は,まさしくその時の私の精神状態を反映するかのように,暗い方へ暗い方へと移っていきました.
Arch EnemyやSlipknotなどのヘヴィメタル,デスメタルバンドを聴き,「暗黒こそ正義」だと信じておりました.
しかし,高校1年目の夏休みに転機は訪れました.
私の叔父(カセットテープの伯父とは異なります)は高校時代からバンドをしていた生粋のロック好きなのですが,その叔父が私のCDコレクションを見たい,と言うのです(以前から私は叔父と音楽の話をしていました).
私は「どうだ,このおぞましいバンドの数々!やばいでしょ?」と言わんばかりに胸を張ってコレクションを見せました.
しかし,それを見た叔父は呆れたのか,後日,「これを聴いておけば間違いないから」と,自分のオススメするCDを30枚ほど貸してくれたのです.
今になって思えば,その30枚こそが,私の音楽嗜好を正統な方向へと導き,私のセンスを磨き上げてくれた,まさしく宝のような音楽たちだったのだと思います.
その30枚には次のようなバンドのCDが入っていました.
Bob Dylan / David Bowie / Dr. Feelgood / Elvis Costello / Iggy Pop / The Jimi Hendrix Experience / Joy Division / New Order / Neil Young / Nirvana / Oasis / Patti Smith / The Ramones / The Smiths / The Stone Roses / Talking Heads / Television / Tom Waits / Tracy Chapman / The Who / The Rolling Stones / The Clash / Cream / The Cure
とりわけ私が興味を持ったのはOasisというバンドでした.
その当時,Oasisはまだ現役で活動していたからです.
私がOasisというバンドを知った翌年,2009年3月には,彼らの日本ツアーがあり,私も友人(オクハラくん)と2人で幕張メッセまでライヴを観に行きました.
オクハラくんにとっても私にとっても,これが人生で初めてのライヴでした.
田舎の高校生2人が人生初ライヴとして幕張でOasisを観るってかなりアツいですよね.
今でも良い思い出です.
オクハラくん,元気かなぁ,今はどんな音楽聴いているんだろう....
それからの高校生活は,Oasisを軸として,UKロックを貪るように聴きました.
まずはOasisが影響を受けているというThe Stone RosesやThe Beatlesを聴いたり.
マンチェスター繋がりということでJoy DivisionやThe Smithsを聴いたり.
Oasisと同じくらいの人気を誇るBlurやRadioheadを聴いたり.
ポストOasisと言われるKasabianやArctic Monkeysを聴いたり.
Oasisがボロカスに批評したFranz Ferdinandを聴いたり.
毎日が調査・発見・喜びの日々で,楽しかったのを覚えています.
高校時代,私が所属していたクラスというのは,勉強に特化したクラスで,少数精鋭,ほとんど男子,勉強漬け,という青春の欠片もないようなクラスでした.
そこで3年間地獄のような日々を送ってこれたのは,精神的支柱とるような2つの音楽の軸があったからです.
1つが先に紹介したOasisを中心とするUKロックという軸.
そしてもう1つが,Perfumeです.
「(精神的・体力的に)弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬」とはよく言われる言葉ですが,確かにその通りです.
私がPerfumeを知ったのは,Perfumeが全国テレビに登場し「ポリリズム」を披露するようになってからです.
その頃はまだ「アキバ系アイドル」として売り出されていて,私の印象としては「なんか変なのが出てきたなぁ」というもので,そこには「好き」という感情は一切ありませんでした.
しかし,2008年,変化は突然訪れました.
某テレビ番組を観ていると,例のPerfumeというグループが登場.
「love the world」という曲を披露していました.
隣で観ていた母が一言「この中だったらどの子がタイプ?」と訊いてきました.
何気ない普通の会話です.
言われてみれば,私はそれまでPerfumeのメンバーをちゃんと見たことがありませんでした.
母のその質問に答えるべく,それぞれの顔を吟味していると,私の胸に突如電流が走りました.
「あれっ,この子,可愛い...」
それが私とのっちの出会い,そして,本当の意味での,私とPerfumeの出会いでした.
それからの日々は,のっちについて,Perfumeについてネットで調べる毎日が始まりました.
私はそれまでアイドルやタレントを女性として好きになることはありませんでしたし,音楽を聴くにしてもルックスから入ることはありませんでした.
そう考えると,私にとってPerfumeは異例の存在でした.
Perfumeを好きになったのは良いものの,私はそれを親や友達に打ち明けることができませんでした.
私は硬派なキャラだったので,「アイドルを好きになること=恥」という方程式を自分の中に勝手に作り上げていたのです.
しかし,面白いことに,自分がPerfume好きであることを隠せば隠すほど,どんどんPerfumeを好きになっていくのです(これは多分,新興宗教や秘密結社にのめり込んでいく人々の心境と似ているかもしれません.私は知りませんが...).
2008年10月には初めてライヴDVD「GAME」を購入し,11月に発売されたシングル「Dream Fighter」からは初回限定版CDを購入するようになり,12月には初めて写真集「Perfume Portfolio」を購入し,年末は初めて特定の歌手を目的にNHK紅白歌合戦を見ました.
2009年5月には友達のオオノくんと2人で,初めてPerfumeのライヴへ行き(代々木「Disco! Disco! Disco!」),ライヴ終了後には2人揃ってファンクラブに入りました.
オオノくんは良い相棒でした.
高校生の間に,2人でPerfumeのライヴに行くことが何度かありました.
中でも,直角二等辺三角形ツアー皮切りの戸田公演(キャパが少ないため,ものすごい倍率と言われていた)に2人で参加したのは良い思い出です.
Perfumeはそれまで出不精だった私をライヴ好きにさせてくれましたし,家と学校の往復では知りようがない様々なことを教えてくれました.
Perfumeについては並々ならぬ思い入れがあるので,出来ればまた別の記事で書きたいと思います.
しかし,そんなPerfume好きの私も,2016年リリースのアルバム「Cosmic Explorer」を最後に,ファンクラブを脱退しました.
理由は色々ありますが,例を挙げると,「アイドルとしてではなく,アーティストとして見るようになった(女性として好き,という感情が薄くなってきた)」,「ライヴの男女比が変わってきた(=一般人が大量に新規参入してきた)」,そのために「やっている音楽も世間に媚びるものが多くなってきた(斬新さがなくなってきた)」ことがあります.
ただ,嫌いになった訳ではありませんし,新曲がリリースされれば一通りチェックはしています.
2011年3月,高校卒業から大学入学に向けて準備を進めていた頃,東北大震災が起きました.
奇しくも,私の大学の進学先は仙台でした.
よりによってなぜ,自分がこれから向かう地が被災地となるのか,やり切れなさでいっぱいになりました.
ここでも「弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬」という慣例が私に当てはまったわけです.
2011年4月,私はネットで「ももいろクローバー」というアイドルグループが「ももいろクローバーZ」に改名する,というニュースを見ました.
このグループの存在は,某深夜番組などを見ていたこともあり,知っていましたが,まだ「好き」という感情は芽生えていませんでした.
私がこのグループを好きになったのは,この年の9月でした.
私が敬愛していたPerfumeののっちが,最近好きなアイドルグループとして,ももいろクローバーZの名を挙げていたのがきっかけです.
映画『モテキ』の影響も若干あるかもしれません.
私のももクロ熱は加速度的に高まり,高校時代と比べてバイトによって得たお金もあったので,短期間のうちにグッズやCD,DVDを爆買いしました.
あの頃の私の(黄熱病ならぬ)「桃熱病」は,異常だったと思います.
2011年には「魂のシュプレヒコールツアー」仙台公演で初めてももクロのライヴに参加し,Twitterで知り合った同士たちと意気投合しました.
しかし,私の「桃熱病」は2011年の年末にさいたまスーパーアリーナで行われた「ももいろクリスマス」を最後に,急速に下がっていきました.
熱にかかるのが早ければ,熱が冷めるのも早かった,というわけです.
しかし,その後は「アイドルDD(=誰でも大好き)時代」が来るわけです.
ももクロから東京女子流に移ったり,私立恵比寿中学に移ったり,ぱすぽ☆,でんぱ組,BiSなんかにも移ったりしました.
この時期はアイドル戦国時代と言われ,所謂「ローカルアイドル」というのが人気でした.
福岡のLinQ,愛媛のひめキュンフルーツ缶,広島のまなみのりさ,新潟のNegiccoなど,いろんな人気グループがありました.
仙台にもテクプリやDorothy Little Happyなど,優良なグループがいくつかあり,私も頻繁にライヴを見にいきました.
学部時代は,1年のうちでTIF(Tokyo Idol Festival)の時期がいちばん楽しかったかもしれません.
Twitterで知り合ったヲタ友と騒ぎまわったのは楽しい思い出です.
アイドルの楽しさは何か?と言われると,それは楽曲の良さというよりも,グループそのもののコンテンツとしての面白さ,ライヴのお祭り感が挙げられます.
私はアイドルそのものよりも,ヲタクたちの騒ぎっぷりを見るのが好きでした.
しかし,私のアイドルヲタとしての生活も,大学院進学を期にプツリと終わりました.
冷静に考えた時に,ライヴに継ぎ足すお金が勿体ないと気づいたわけです.
お金を浪費させる割には,自分が成長できるわけでもなく,メリットが少ない,ということに気づいたわけです.
仮にアイドルのライヴに使うお金や時間を映画鑑賞や読書に回せば,そちらの方が知識も増えるし,自分への投資になるのではないか,と考えたのです.
ただ,今でも気分転換や気分高揚の目的でアイドル番組を見たり,アイドルソングを聴くことはあります.
大学院に進学してからは,私の中で洋楽ブームが再来し,UKロックに限らず,様々な地域・ジャンルの音楽を聴いています.
2015年にはフジロックにも初参加し,以来毎年足を運んでいます.
ここ2年ほどは音楽を聴く形態も変わってきました.
2年前まではiPod classicに大量の音楽を詰め込んで,それを何処へでも持ち運んでいましたが,iPod classicが壊れたのをきっかけに,Apple Musicと契約をすることにしました.
ネット環境とスマホがあれば,何処でも手軽に,大抵の音楽を聴くことができるようになりました.
CDショップにも,レンタルショップにも,足を運ばなくなりました.
大変便利で,その上,音楽の幅も広がったように思えます.
これまで聴こうとはしなかった,日本のメジャーなアーティストの楽曲も手軽に聴けるので,「宇多田ヒカルってこんなに良いんだぁ」「ユーミンってこんなに良いんだぁ」と驚きと喜びの連続です.
また,最近の私の傾向なのですが,The Beatlesに回帰することが多いです.
なんだかんだで,結局最後はThe Beatlesです.
いろんな音楽を知れば知るほど,The Beatlesの深みも知ることになるのです.
以上,私の音楽遍歴でした.
これからもいろんな音楽で自分の人生を彩り鮮やかなものにしたいと思います.
前回のブログで,私の現在の趣味を挙げました.
今回の記事では,その中の一つにして,もっとも私と付き合いの長い趣味,「音楽」について書こうと思います.
とは言っても,私は音楽を演ることはなく,専ら聴くことしかしません.
ここでは,私が今までに愛した音楽を書いていこうと思います.
1.音楽に没頭し始めの頃(小学校高学年)
私が音楽に没頭し始めたのは,小学校高学年の頃,詳しく書くと2003年の夏.
そう,ORANGE RANGEのメジャーデビューの年です.
当時のORANGE RANGEの人気は凄まじく,一部のマスコミは「中高生に大人気のグループ」と取り上げていましたが,その波は小学生だった私にも押し寄せました.
彼らの魅力は,曲のノリやすさ,韻を踏む面白さ,お下劣な歌詞にあったと思います.
歳が近いお兄ちゃんたちが歌っている,という点も大きかったと思います.
小学生の私は,授業そっちのけで,クラスを巻き込んでORANGE RANGEがいかに素晴らしいかを語り合っていた気がします.
いかにORANGE RANGEの曲を知っているか,いかにそれらの歌詞を暗記しているか,といった事柄が,クラス内のヒエラルキーを決める要因となりました.
私にはヨシダくんというライバルがいました.
彼も私も(奇しくも同じ)MP3プレーヤーにORANGE RANGEの曲を詰め込み,放課後一緒に聴いたり歌ったりしていました.
ヨシダくんも私も,普通の人とは少し変わったところがあり,当時ORANGE RANGEの人気曲といえば「上海ハニー」「以心電信」「ミチシルベ」「ロコローション」あたりだったのですが,2人がお気に入りの曲は「シティボーイ」や「papa」といった変わり種でした.
私が人生で初めて自分のお金(といってもお小遣いだけど)で買ったCDも,ORANGE RANGEの「アスタリスク」でした.
今久しぶりに聴き返すと,思い出の数々がフラッシュバックしてきて懐かしさで胸がいっぱいになります.
ヨシダくん,元気かなぁ,今はどんな音楽聴いているんだろう....
2.洋楽に目覚める(小学校〜中学校)
私が洋楽と出会ったのはいつだったか覚えていませんが,小学校の頃だったと思います.
当時習っていた公文式の英語の教材に,The Beatlesの内容が出てきました.
そこで「世界にはこんなすごいバンドがいたんだ」と知りました.
それとは独立して,私の洋楽との出会いには,私の伯父の影響が多分にあります.
私の伯父は典型的なアナログ人間で,世の中にCDやMDが出回っている頃にもカセットテープを愛用していました.
伯父はしばしば自分のお気に入りの曲,または私に聴かせたい曲を選曲してカセットテープに収録してくれました.
習い事や買い物に出掛ける際には,カーステレオでそのテープを流すのが日課でした.
そのテープに入っていた曲はバラエティに富んでおり,吉田拓郎やNSPなどのフォークソング(伯父は高校でフォークギター部に入っていたのです)もあれば,The Beatles,Wham!,Queen,The Eagles,Simon & Garfunkel,The Carpentersなどの洋楽も豊富でした.
中学に入ると,だんだんと洋楽に興味を持ち始め,80年代の洋楽ヒット曲のオムニバスCDを好んで聴いていました.
CMの影響もあり,「この曲,耳にしたことある!」という喜びがあり,点と点が線になる感覚が面白かったです.
また,私の通っていた中学校では,英語や音楽の授業にThe Beatlesの曲をよく歌わされました.
給食後の掃除の時間でも,The Beatlesの初期の楽曲が校内放送で流れていましたし,下校時刻になると,Backstreet Boysの「I Want It That Way」が必ず流れていました.
さいたまスーパーアリーナで開催されていたジョン・レノン・ミュージアムにも足を運びました.
また,この頃には,当時高校生だった兄の友達の影響もあり,The Offspringにも熱中し始めました.
The Offspringへの熱中の仕方は,ORANGE RANGEへのそれに通ずるものがありました.
また,The Offspringでポップ・パンクのエモさを知り,同じような系統のGreen DayやMy Chemical Romanceなんかを聴くようになりました.
3.UKロックとの出会い(高校)
中学卒業から高校入学にかけての時期は,私が初めて人生で挫折を味わった暗い時期でした.
そう,私は高校受験に失敗し,第一志望の某有名公立校や第二志望の某有名私立校に落ち,滑り止めで合格した近所の私立校に入学することになったのです.
私の音楽嗜好は,まさしくその時の私の精神状態を反映するかのように,暗い方へ暗い方へと移っていきました.
Arch EnemyやSlipknotなどのヘヴィメタル,デスメタルバンドを聴き,「暗黒こそ正義」だと信じておりました.
しかし,高校1年目の夏休みに転機は訪れました.
私の叔父(カセットテープの伯父とは異なります)は高校時代からバンドをしていた生粋のロック好きなのですが,その叔父が私のCDコレクションを見たい,と言うのです(以前から私は叔父と音楽の話をしていました).
私は「どうだ,このおぞましいバンドの数々!やばいでしょ?」と言わんばかりに胸を張ってコレクションを見せました.
しかし,それを見た叔父は呆れたのか,後日,「これを聴いておけば間違いないから」と,自分のオススメするCDを30枚ほど貸してくれたのです.
今になって思えば,その30枚こそが,私の音楽嗜好を正統な方向へと導き,私のセンスを磨き上げてくれた,まさしく宝のような音楽たちだったのだと思います.
その30枚には次のようなバンドのCDが入っていました.
Bob Dylan / David Bowie / Dr. Feelgood / Elvis Costello / Iggy Pop / The Jimi Hendrix Experience / Joy Division / New Order / Neil Young / Nirvana / Oasis / Patti Smith / The Ramones / The Smiths / The Stone Roses / Talking Heads / Television / Tom Waits / Tracy Chapman / The Who / The Rolling Stones / The Clash / Cream / The Cure
とりわけ私が興味を持ったのはOasisというバンドでした.
その当時,Oasisはまだ現役で活動していたからです.
私がOasisというバンドを知った翌年,2009年3月には,彼らの日本ツアーがあり,私も友人(オクハラくん)と2人で幕張メッセまでライヴを観に行きました.
オクハラくんにとっても私にとっても,これが人生で初めてのライヴでした.
田舎の高校生2人が人生初ライヴとして幕張でOasisを観るってかなりアツいですよね.
今でも良い思い出です.
オクハラくん,元気かなぁ,今はどんな音楽聴いているんだろう....
それからの高校生活は,Oasisを軸として,UKロックを貪るように聴きました.
まずはOasisが影響を受けているというThe Stone RosesやThe Beatlesを聴いたり.
マンチェスター繋がりということでJoy DivisionやThe Smithsを聴いたり.
Oasisと同じくらいの人気を誇るBlurやRadioheadを聴いたり.
ポストOasisと言われるKasabianやArctic Monkeysを聴いたり.
Oasisがボロカスに批評したFranz Ferdinandを聴いたり.
毎日が調査・発見・喜びの日々で,楽しかったのを覚えています.
4.Perfumeとの出会い(高校〜大学院修士課程)
高校時代,私が所属していたクラスというのは,勉強に特化したクラスで,少数精鋭,ほとんど男子,勉強漬け,という青春の欠片もないようなクラスでした.
そこで3年間地獄のような日々を送ってこれたのは,精神的支柱とるような2つの音楽の軸があったからです.
1つが先に紹介したOasisを中心とするUKロックという軸.
そしてもう1つが,Perfumeです.
「(精神的・体力的に)弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬」とはよく言われる言葉ですが,確かにその通りです.
私がPerfumeを知ったのは,Perfumeが全国テレビに登場し「ポリリズム」を披露するようになってからです.
その頃はまだ「アキバ系アイドル」として売り出されていて,私の印象としては「なんか変なのが出てきたなぁ」というもので,そこには「好き」という感情は一切ありませんでした.
しかし,2008年,変化は突然訪れました.
某テレビ番組を観ていると,例のPerfumeというグループが登場.
「love the world」という曲を披露していました.
隣で観ていた母が一言「この中だったらどの子がタイプ?」と訊いてきました.
何気ない普通の会話です.
言われてみれば,私はそれまでPerfumeのメンバーをちゃんと見たことがありませんでした.
母のその質問に答えるべく,それぞれの顔を吟味していると,私の胸に突如電流が走りました.
「あれっ,この子,可愛い...」
それが私とのっちの出会い,そして,本当の意味での,私とPerfumeの出会いでした.
それからの日々は,のっちについて,Perfumeについてネットで調べる毎日が始まりました.
私はそれまでアイドルやタレントを女性として好きになることはありませんでしたし,音楽を聴くにしてもルックスから入ることはありませんでした.
そう考えると,私にとってPerfumeは異例の存在でした.
Perfumeを好きになったのは良いものの,私はそれを親や友達に打ち明けることができませんでした.
私は硬派なキャラだったので,「アイドルを好きになること=恥」という方程式を自分の中に勝手に作り上げていたのです.
しかし,面白いことに,自分がPerfume好きであることを隠せば隠すほど,どんどんPerfumeを好きになっていくのです(これは多分,新興宗教や秘密結社にのめり込んでいく人々の心境と似ているかもしれません.私は知りませんが...).
2008年10月には初めてライヴDVD「GAME」を購入し,11月に発売されたシングル「Dream Fighter」からは初回限定版CDを購入するようになり,12月には初めて写真集「Perfume Portfolio」を購入し,年末は初めて特定の歌手を目的にNHK紅白歌合戦を見ました.
2009年5月には友達のオオノくんと2人で,初めてPerfumeのライヴへ行き(代々木「Disco! Disco! Disco!」),ライヴ終了後には2人揃ってファンクラブに入りました.
オオノくんは良い相棒でした.
高校生の間に,2人でPerfumeのライヴに行くことが何度かありました.
中でも,直角二等辺三角形ツアー皮切りの戸田公演(キャパが少ないため,ものすごい倍率と言われていた)に2人で参加したのは良い思い出です.
Perfumeはそれまで出不精だった私をライヴ好きにさせてくれましたし,家と学校の往復では知りようがない様々なことを教えてくれました.
Perfumeについては並々ならぬ思い入れがあるので,出来ればまた別の記事で書きたいと思います.
しかし,そんなPerfume好きの私も,2016年リリースのアルバム「Cosmic Explorer」を最後に,ファンクラブを脱退しました.
理由は色々ありますが,例を挙げると,「アイドルとしてではなく,アーティストとして見るようになった(女性として好き,という感情が薄くなってきた)」,「ライヴの男女比が変わってきた(=一般人が大量に新規参入してきた)」,そのために「やっている音楽も世間に媚びるものが多くなってきた(斬新さがなくなってきた)」ことがあります.
ただ,嫌いになった訳ではありませんし,新曲がリリースされれば一通りチェックはしています.
5.アイドルに溺れる(大学学部時代)
2011年3月,高校卒業から大学入学に向けて準備を進めていた頃,東北大震災が起きました.
奇しくも,私の大学の進学先は仙台でした.
よりによってなぜ,自分がこれから向かう地が被災地となるのか,やり切れなさでいっぱいになりました.
ここでも「弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬」という慣例が私に当てはまったわけです.
2011年4月,私はネットで「ももいろクローバー」というアイドルグループが「ももいろクローバーZ」に改名する,というニュースを見ました.
このグループの存在は,某深夜番組などを見ていたこともあり,知っていましたが,まだ「好き」という感情は芽生えていませんでした.
私がこのグループを好きになったのは,この年の9月でした.
私が敬愛していたPerfumeののっちが,最近好きなアイドルグループとして,ももいろクローバーZの名を挙げていたのがきっかけです.
映画『モテキ』の影響も若干あるかもしれません.
私のももクロ熱は加速度的に高まり,高校時代と比べてバイトによって得たお金もあったので,短期間のうちにグッズやCD,DVDを爆買いしました.
あの頃の私の(黄熱病ならぬ)「桃熱病」は,異常だったと思います.
2011年には「魂のシュプレヒコールツアー」仙台公演で初めてももクロのライヴに参加し,Twitterで知り合った同士たちと意気投合しました.
しかし,私の「桃熱病」は2011年の年末にさいたまスーパーアリーナで行われた「ももいろクリスマス」を最後に,急速に下がっていきました.
熱にかかるのが早ければ,熱が冷めるのも早かった,というわけです.
しかし,その後は「アイドルDD(=誰でも大好き)時代」が来るわけです.
ももクロから東京女子流に移ったり,私立恵比寿中学に移ったり,ぱすぽ☆,でんぱ組,BiSなんかにも移ったりしました.
この時期はアイドル戦国時代と言われ,所謂「ローカルアイドル」というのが人気でした.
福岡のLinQ,愛媛のひめキュンフルーツ缶,広島のまなみのりさ,新潟のNegiccoなど,いろんな人気グループがありました.
仙台にもテクプリやDorothy Little Happyなど,優良なグループがいくつかあり,私も頻繁にライヴを見にいきました.
学部時代は,1年のうちでTIF(Tokyo Idol Festival)の時期がいちばん楽しかったかもしれません.
Twitterで知り合ったヲタ友と騒ぎまわったのは楽しい思い出です.
アイドルの楽しさは何か?と言われると,それは楽曲の良さというよりも,グループそのもののコンテンツとしての面白さ,ライヴのお祭り感が挙げられます.
私はアイドルそのものよりも,ヲタクたちの騒ぎっぷりを見るのが好きでした.
しかし,私のアイドルヲタとしての生活も,大学院進学を期にプツリと終わりました.
冷静に考えた時に,ライヴに継ぎ足すお金が勿体ないと気づいたわけです.
お金を浪費させる割には,自分が成長できるわけでもなく,メリットが少ない,ということに気づいたわけです.
仮にアイドルのライヴに使うお金や時間を映画鑑賞や読書に回せば,そちらの方が知識も増えるし,自分への投資になるのではないか,と考えたのです.
ただ,今でも気分転換や気分高揚の目的でアイドル番組を見たり,アイドルソングを聴くことはあります.
6.雑食期(大学院修士課程〜現在)
大学院に進学してからは,私の中で洋楽ブームが再来し,UKロックに限らず,様々な地域・ジャンルの音楽を聴いています.
2015年にはフジロックにも初参加し,以来毎年足を運んでいます.
ここ2年ほどは音楽を聴く形態も変わってきました.
2年前まではiPod classicに大量の音楽を詰め込んで,それを何処へでも持ち運んでいましたが,iPod classicが壊れたのをきっかけに,Apple Musicと契約をすることにしました.
ネット環境とスマホがあれば,何処でも手軽に,大抵の音楽を聴くことができるようになりました.
CDショップにも,レンタルショップにも,足を運ばなくなりました.
大変便利で,その上,音楽の幅も広がったように思えます.
これまで聴こうとはしなかった,日本のメジャーなアーティストの楽曲も手軽に聴けるので,「宇多田ヒカルってこんなに良いんだぁ」「ユーミンってこんなに良いんだぁ」と驚きと喜びの連続です.
また,最近の私の傾向なのですが,The Beatlesに回帰することが多いです.
なんだかんだで,結局最後はThe Beatlesです.
いろんな音楽を知れば知るほど,The Beatlesの深みも知ることになるのです.
以上,私の音楽遍歴でした.
これからもいろんな音楽で自分の人生を彩り鮮やかなものにしたいと思います.
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