投稿

9月, 2014の投稿を表示しています

量子革命

いやはや、この数日間私は狂ったように或る本に魅了され、狂ったように読んだ。 院試勉強をしていた8月中旬、息抜きに街の本屋に出掛け、この本を目にした。 それまでも大学の生協などで目にしていたが、その厚みとタイトルから、いかにも読むには労力がいるような類の本だと思い、避けていた。 しかし、このときは自然とその本に引かれ、手にとった。 プロローグを読んだ瞬間、「しまった」と思った。 とても魅力的な内容で、プロローグを読んだだけでも興奮して胸が高鳴ったのだ。 今すぐにでも読みたかったが、院試が先に控えていたので、院試が終わったら読もうと決めた。 院試も終え、目当てのその本を大学図書館で借りてからは、貪るように読んだ。 マンジット・クマール著『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』 これは壮大なる量子力学形成史である。 事の始まりは19世紀末、当時 物理学者の多くは、大きな発見はすべて、既に成し遂げられたと信じていた。 黒体放射の分布式を見出したプランクは、その物理的意味を説明するために「量子」という大きな代償を払うことになってしまう。 プランクは「量子」という概念は一時的なものであり、後で訂正するつもりでいたのだ。 しかし、その後アインシュタインやボーアらにより、「量子」という概念を用いれば多くの物理問題を解決できるとわかり、プランクは図らずも「量子革命」の火付け役となってしまったのである。 本の前半では、プランク、アインシュタイン、ゾンマーフェルト、ボルン、ボーア、ド・ブロイ、パウリ、ハイゼンベルク、シュレディンガーなど、数々の(物理の教科書に必ずと言っていいほど名前が載る)偉大なる物理学者たちのエピソードが綴られる。 とても生き生きとした描写で、それぞれの個性が溢れ出んばかりである。 ボーアはコペンハーゲンにある自分の名を冠した研究所を、量子力学の一大中心地にし、優れた物理学者を生むことに成功した。 (意外にも!)そんなボーアに、物理学者としても教育者としても多大なる影響を与えていたのは、ラザフォードだった。 私の中では、ラザフォードというのは、原子模型を提案したくらいの(失礼!)影の薄い(失礼!!)物理学者だったので、とても驚きだった。 不確定性原理に関するハイゼンベルクとボーアの論争についてのエピソ...

What'll it take to make you people dance?

イメージ
おばんです。 久々の更新。 8月は院試勉強でドタバタしており、なかなか更新する余裕もなければ書く内容もなかった。 無事?院試も終わり、一段落ついています。 今日は床屋に行って髪を切ってもらい、(少し早いが)頭に秋を感じている。 ここで問題が起きる。 床屋で聞き覚えのある曲が流れている。 間違いなく私のiPodにも入っており、間違いなく「好き」の部類に入る曲である。 しかしどうしたことか、名前が思い出せない。 どう頑張っても、思い出せない。 こういうことは、以前にも何回かある。 こんなに悔しいことはない。 iPodにはたくさんの曲が詰め込んであるんだけれど、その殆どの曲は入っているだけで実は「知らない(認知していない)」曲なのではないか、と悲しくなる。 気になりだしたら止まらない。 どうしてもそれが誰の何という曲なのか知りたいという欲求が込み上げてくる。 もう躍起になって「それっぽい」曲を再生し、これじゃない、これでもない、、と調べ上げる始末。 結局見つかった。 Graham Coxonの「What'll it take」だった。 しかも、おかしなことに、以前はどうでもいいと思っていた曲までも、こういう体験の後では特別な曲のように思えてしまうのである。 この先その曲に関しては、忘れることもなくなるだろう。 さて、話は変わるが、先ほどTSUTAYAで借りてきた『Stand by me』を観た。 映画を観終って、ほろりと優しい涙が頬を伝った。 何故傑作と呼ばれるのか分かった。 子どもたちは時間の経過とともに成長し、いつかは大人になる。 しかし、時間というのは恐ろしいもので、人々の価値観を変えてしまう。 子どもの頃に遊んだ友達とは、いつの間にか疎遠になり、気づいた頃には互いの間には壁が出来てしまっている。 これは誰しもが経験していることだろう。 あの頃の友達関係はピュアだった。 大人になってからあのような関係を築こうと思うと、知らず知らずのうちに自己のうちに形成されてしまった価値観(地位や損得勘定や偏見など)が邪魔してなかなか難しいのではないか? 今思い返すと、子ども時代は黄金のきらめきであり、またあの頃に戻りたいと思ってしまうのであった。