やたら病気にさせたがる・なりたがる現代人~京都の君に捧ぐ~
京都に住む、僕の保育園時代からの親友から、この前電話越しにこんなことを言われた。 「おれ・・・、実は病気だったんだよ。」 彼はもの凄く深刻そうな声色でそう言った。 すかさず僕は、「何の病気なの?」と訊いた。 彼が言う。 「回避性人格障害。」 思わず吹き出してしまった。 彼はどうやらネットでその診断を行い、すべての項目が当てはまってしまったらしく、本気で自分が回避性人格障害だと思い込んでいるようだった。 ひどく落胆して「俺はもうダメなんだ」とか呟いてるw 僕も、その人格性なんちゃらかんちゃらとやらが気になってネットで調べてみた。 正直、僕もいくつか項目が当てはまった。 というより、結局誰しもいくつかの項目には当てはまるようにできているのだ。 この手のものは、結構、誰もが当てはまるような普遍的な項目をずらずら並べているだけなのだ。 誰だって、他人に笑われたり、恥をかいたり、排除されたり、嫌われたりすることを恐れるのは人間として当たり前の感情だし、それを理由に社会から逃げ出したくなることだって頻繁にある。 むしろそれが人間として正常の反応であって、逆にそういう不安や孤独感を抱かない人のほうが人間的欠陥をもっていると思う。 言ってしまえば、僕も性格はかなり根暗で、皆と一緒にいるよりも一人でいるほうがずっと好きだ。 孤独が好きで、同時に孤独が怖い。 そんなもんなんだよ。 現代人(学者)は何かにつけてやたらと病名をつけようとする。 昔だったらちょっと変わった人がいたら「変わり者」で済まされていたのに、今や「変わり者」は病人・障がい者になってしまう。 「普通の人」とされる定義もだんだん狭くなりつつある。 いや、そもそももう「普通の人」などいないのではないか、とも思えてくる。 「普通の人」がいたらいたで、現代人(学者)はきっと、「普通の人症」とかいう症状を勝手につくってしまうだろう。 そういうことなんだよ。 現代人(学者)は全てのことを病気として名称化しないと気が済まないんだよ。 またこれが面白いのだが、現代人(一般人)は何かと病気になりたがる。 ちょっといつもと様子が違ったら、熱があるのかなと言ってみたり、頭痛なのかなと言ってみたりする。 ちょっと人との関係がうまくいかなかったら、ネットでそれっぽい症状...